白糸刺しゅうを教えるとは?— イタリアで考えた文化の継承
白糸刺しゅう
2025.11.20
先日、刺しゅうのレッスンを受けるためにイタリアを訪れました。そこで交わしたイタリア人の先生との何気ない会話で考えさせられることがありました。
「イタリアの刺しゅうはアジア人に人気があるみたいね。レッスン料をとても高く設定して、イタリアの刺しゅうを教えている人もいると聞くわ」
先生はまったく悪意なく、会話の流れでそう口にしました。
この先生は、アトリエに日本の刺しゅう本をたくさん置くほど日本の手芸がお好きで、お子さんたちも日本文化の大ファンだそうです。またとくに海外から学びに来る生徒には、自国に帰ってから困らないように、持っている知識を余すところなくみっちりと教えるそうで、本当に出し惜しみなく教えてくれました。(宿題も多くて大変だったけど😂)
その先生との会話から、私が考えさせられたことを書き留めておきたいと思います。
国が違えば技術の扱い方も価値観も違う。
日本人や韓国人がイタリアの手芸市を訪れ、自国で刺しゅうを教えていることは、現地の先生方の間でも話題になっているようでした。
韓国の状況は詳しくありませんが、日本では「技術は、努力して自分で身につけたもの」という意識が強いように感じます。刺しゅうの資格制度が存在することも、その一例かもしれません。そのため、習得した技術を教室で教えるのはごく自然なことと捉えられています。
しかし、イタリアをはじめとするヨーロッパでは、白糸刺しゅうの技術は「その土地の文化そのもの」です。だからこそ、その技術が故郷を離れ、まったく違う文脈で扱われることに、少し複雑な気持ちを抱く人がいる。
先生の話を聞いて、その感情がすっと理解できたのです。
文化を守るとは、どういうことか
以前、私が動画講座を始めたとき、ある方から長いメールでクレームをいただいたことがあります。要約すると「たった数日習っただけで、この素晴らしい刺しゅうを教えるなどありえない」というお怒りの内容でした。法的には何の問題もなかったため、もし問題があるなら弁護士を介してほしいと返信すると、「そういう話ではない」との答えが。
その方は、刺しゅうの布や材料さえも外部に流出しないよう徹底していました。そこまで閉鎖的になってしまうと、その素晴らしい技術を扱える人は先細りになる一方ではないでしょうか。
残念ながら、その技法は近い将来、消滅するかもしれないと感じています。なぜなら、先生も生徒も70代以上の方々で若い担い手がいないからです。その危機感は、レッスン中にも皆さんが口をそろえて語っていました。もしかしたら、その方にとっては「アジア人に技術を守ってもらうくらいなら、消滅したほうがまし」なのかもしれませんが…
その気持ちは、少しだけわかる気もします。例えば、外国人が着物をおかしな形で着ていたり、日本文化が歪曲されて広まったりすることに、私たちが違和感や憤りを覚えるのと同じかもしれません。
ヨーロッパの人々にとって、白糸刺しゅうの各技法は、代々受け継がれてきた誇り高い文化遺産です。
その事実に最大限の敬意を払い、扱わなければならないと、私は改めて心に誓いました。
私が、現地で学ぶ理由
私がわざわざその土地まで足を運んで白糸刺しゅうを学ぶのは、それを単なるステッチの集まりではなく、大切な文化だと考えているからです。
なぜその刺しゅうが生まれたのか。
どのように伝わり、どんな歴史を経て今に息づいているのか。
ボタンホールステッチの刺し方だけなら、本や動画で十分かもしれません。
フォーサイドステッチも技法によって針運びは全然違いますが、表から見て四角に見えれば針運びはどうでもいいのかもしれません。
その刺しゅうに使われるモチーフも見よう見まねで描いたり、独自のデザインでもいいのかもしれない。
それでも私はその土地で大切に育まれてきた物語ごと、丁寧に伝えていきたいです。
文化とは、それを「守りたい」と願う人々の想いによって未来へ続いていくものだと思っています。私もその一人でありたい。
ピストイアからフィレンツェへ向かう帰りの電車で、窓の外を眺めながらそんなことを考えていました。